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2004.08.27

「MANSAI@解体新書 その伍」抄録

8/23の「解体新書その伍」の抄録をアップします。

予めお断りしておきますが、この抄録は
私が参加しながら、話をキーワードを
メモした物を、防備録用にほぼ3日がかりで
再構成したものです。

当たり前ですが、紙のメモだけが頼りですから、
私の勘違いの部分もあるかもしれませんし
所々抜けていたりします。

また、そのまま再現してもわかりにくいと思うので
言葉を補ったりしていますし。会場の雰囲気の中でしか
判らない文脈や、ここに載せるにはふさわしくない
内容と思った部分は私の判断でカットしています。
また、発言されている方が必ずしもこの通りには
お話されていない部分もあります。

下手に詳しいがために、何か道具を使ったのでは?
というあらぬ疑いを受けてしまいそうですが(笑)
すべてちょっとだけ得意なのかもしれない
記憶力だけで構成したものです。
そのあたり十分ご理解下さい。

MANSAI@解体新書 その伍 
(日本の音、ことばの色~発語からのイマジネーション)
ステージは今回は恒例の四角い木目舞台を三方から客席が挟む、
というスタイルではなく、「狂言劇場」風舞台に、左右と奥の三方
から橋掛がしつらえられているもの。萬斎さんが説明された
ところによれば、前日までの『OKUNI』公演の舞台のままだとか。
正面にスクリーン(恒例)。

まず萬斎さん下手から、正面奥に回りこんで、奥から延びる
橋掛から登場。服装は「解体新書」恒例、
白のシャツに黒いパンツに足袋。

萬斎「こんばんは。この「解体新書」も5回目です。
   簡単に言いますと、私をダシにして演劇を考える。
   演劇の裏側で考えていることを共有するということです。
   いわば『行列のできるラーメン屋のスープの作り方を明かす』
   という感じ、ですか。
   なのでこうやって裸舞台でやるのですが、実は昨日まで
   やっていた『OKUNI』の舞台のままです。
   劇場の後ろ側も剥き出しです。
   しかし、綺麗に整頓しましたね(笑)
   今回は素になって、日本語について考えてみようと
   いう訳ですが、タイトルにある『発語』とは、
   〔以下、国語事典を引用したような意味説明〕、
   難しいですね。日本語の発声のバリエーション
   を考えよう、ということで、ふさわしいゲストを
   2人お招きしました。
   右手のオレンジ色のランプのところから登場されます。
   単なるエレベーターなんですけど(笑)」

という前フリに続いて、ゲスト二人が右手より登場。
浪曲師・国本武春さんは萬斎さんと同じ(申し合わせでしょう)
服装に三味線を抱えて、演出家の鴨下さんは地味目の
ジャケット姿。
舞台むかって右から鴨下さん、国本さん、萬斎さんと座る。

萬斎さんがまず二人のプロフィールを読まれる。

萬斎「とりあえず、狂言師と浪曲師といて、どちらも
    マイナーなものなので、(★狂言はマイナーかな~?) 
   狂言を狂言風に、浪曲を浪曲風に紹介しましょう」

【と言って萬斎さんが、狂言の口調で狂言を
「何もない舞台で、人間を称え、真面目な人間を演じる
ことで笑いを誘うもの」という内容で説明。続いて国本さんが、
浪曲を「三味線と語りによる、一人ミュージカル」と説明】(会場爆笑)

萬斎「鴨下さんは?」(笑)
鴨下「演出家は何もやりません(笑)演出家は自分では
   やらないで、後で文句を言ったり灰皿投げたりするだけ」(爆笑)
萬斎「今、日本語について考えるのがブームとか
   言われていますね。日本語の本もたくさん出ていますし。
   鴨下さんも本を出されていますが、ブームで片付けられて
   しまって良いのか、舞台に反映させる知恵とか出せないかと。
   鴨下さんは日本語ブームについてどうお考えですか?」
鴨下「ブームですねえ。『声に出して読みたい日本語』なんて
   いう本が出ていますが、問題はそれをどう読めば
   いいのかという肝心なことが書いてない。」
萬斎「確かに。以前に(歌舞伎役者の松本)幸四郎さんに
   インタビューする機会があったのですが、役者というのは、
   もちろん話すことも大切だけど、聞く力がないと良い役者に
   なれない、とおっしゃっていて興味深かったです。
   (聞く力がないと)自己発散にしかならない。
   国本さん、アメリカのテネシーに留学されていたそうですが」
国本「ちょうど留学していましたので、(日本語)ブームというのは
    全然判らないのですが、浪曲というのは文字で覚えるもの
    ではなくて、昔はラジオやEP盤を聞いて音で覚えたもの
    ですから、音(おん)が先に入ってきて、後で意味が判る。
    今は活字で見てしまうので、音調であるとか、美しさとか、
    上手下手が曖昧ですね」
萬斎「言葉というのは音プラス意味で出来ているのですが、
    (最近は)意味優先ですよね。ニュースでアナウンサーが
    話しているのを聞いても(画面に出る)文字を読んでしまいます。
    アナウンサーの発音はどうなんでしょうか?」
鴨下「アクセントはともかくとして、困るのは句読点、それから
    子音の発音がダメですね。例えばイラクのフセインの
    上の名前、サダムっていうのですが、それをマダムとか
    アダムとかって読むんですよ、これが恥ずかしい事に
    私のいたテレビ局の女子アナが(笑)」
萬斎「<サ>か<ア>に?」
鴨下「そう。それから<梅雨時>と読まなければならないのが
   <冬型>に聞こえてしまう。知らないのではなくて(言えない)。
   株のニュースでも『下がりました』と言っている筈なのに
   『上がりました』と聞こえる、人に拠っては大問題でしょう」
萬斎「うちの父発音には厳しいのですが、特に<s>音が曖昧だと
   言われます。<s>だけでなくてそれが伴う母音も曖昧だと。
   うちの妹などよく『わたしは』が『わたすは』にしか聞こえない、
   と言われていました。国本さん、浪曲では発音はどうなのですか?
   やはり(師匠に)うるさく言われますか?」
国本「浪曲は実に自由な芸能でして(会場爆笑)
    都市の芸能ではないので声さえ良ければ。
    訛っているのを超越したところにあるのが浪曲の良さで(笑)」
萬斎「はっきり聞こえるのは必要ですよね?」
国本「それはそうですね。訛りは生涯直らない人は直らない」(笑)

萬斎「句読点というのは、文章の切り方であって、
    伝え方とは違うのではありませんか?」
鴨下「句読点というのは、明治以前にはなかったのです。
    意味を判らせるために付けられたの
    ですが、今の人は朗読をやらせると必ずあのとおりに
    やりたがる。学校で「、」や「。」で
    区切って読めと教えているのでしょうか?」
萬斎「私が現代劇に出演する場合は、まず貰った
    台本の句読点を打ち直すことをして、プログラミング
    し直すんです。抑揚とか緩急も含めて。
    狂言というのは、言葉の羅列なのですが、父に習うと
    句読点をずらして読んでいるのが判ります」
鴨下「例えば『富士山は日本一高い山だ』という文章をどこで
    切るか?ということです
     (★全部の切り方の可能性をやってくださいました)
    浪曲はどうですか?」
国本「自由奔放ですねえ(会場爆笑)決まりがないんですよ。
    一応七五調なのですが、どこで切っても良い。
    ラインとか文法とかよりも、演出を重視していますね」
萬斎「浪曲には音楽性というものもありませんか?
    意味だけを伝えるのではない、ブリッジをかけて伝えると
    いうか。現代劇だと最近は本読みが少なくてすぐに
    立稽古に入ってしまう。とにかく情報全部を強調しすぎて
    しまって、(逆に)強調されない気がします。
    本読みを好きでない演出家も多いんですが、本読みをすると
    立稽古に比べてリラックスしているので相手役の
    話している意味が判る気がします」
鴨下「昔は<本読み>と言わずに<読み合わせ>って
    言っていたんです。昔の作家はね本読みが上手かった。
    例えば早稲田大学の演劇博物館に坪内逍遥の本読み
    (多分音源)が残っているのですが、上手い。
    最近でいうと宇野信夫さんが上手かった
    〔※宇野信夫/昭和期の劇作家。1904~80〕  
    本読みの日はそれで終わったらしいのですが、俳優が
    その後やると下手に聞こえたらしい。 宇野さんは意味を
    伝えてあとは俳優に任せたらしいですが、本読みに
    2~3日はかけてました」
国本「サンプル、というか、ちゃんとしたものを聞く必要が
    ありますよね。それが判っていればその方向へ向かえます」
萬斎「伝統芸能というのは、先輩から口移しで覚えるので、
    音として伝えられる」

萬斎「浪曲では何役も一人で演じられますから、
    作家は全員の役について、公平な作家の意図を
    取り決めることができますね。狂言でも例えば『棒縛』と
    いう狂言では私も太郎冠者も演じますし、次郎冠者も
    主もやります。私は太郎冠者しかしないということは
    有り得ないですし、また、そのほうがその演目の全体が
    判ります」
鴨下「芝居は人間の関係がちゃんとしてないとだめなんですよね。
    最近はどうも全員が正面を向いてアリアを歌っている
    みたいで…ただ目をつぶって聞いていると誰が何をしゃべって
    いるか判らないことがあります」
萬斎「音のバリエーションが少ないですね。同じ音量、
    同じテンポで話す。(国本さんに)緩急、強弱というのは、
    浪曲の大切な要素ですよね」
国本「役の演じ分けについては、声を変える人と変えない人が
    います。広沢虎造(註:有名な浪曲師)は右(の人)も
    左(の人)も同じ声でやって、それで判る人でしたが、
    彼の場合は音調だけでなく間合いで判ります。」
鴨下「例えばグループで話をしていても、沈み込む声と
    声高にするのと、声を使い分けますね。
    私は昔は流行歌の番組とかもやっていましたが、客が
    若い人が多い時と年配の方が多い時で、譜面を二つ
    持っている歌手がいました」
萬斎「狂言でも観客席が明るくてよく見えますから、席の
    雰囲気が固いときはさらっと演じたりします」
鴨下「その(音の高低の)典型が『ニュースステーション』です。
    あの番組は(最初は)久米(宏)さんと小宮(悦子)さんの
    コンビでしたが、必ず小宮さんの声が低かった。
    ところが、その日の放送が始まって1時間くらいすると
    小宮さんの声が高くなってくるんです。
    どうもそれが彼女の地声だろうと思って、本人に確認したら
    やはりそうで、番組を始める時に久米さんに
    『二人とも声が高いから、あなたは低い声でやってください』
    といわれたのだそうです」
萬斎「ニュースといえば、読む速度もかなり変化したのでは?」
鴨下「私がTV局に入社した時はだいたい一分間に250文字、
   スポーツ記者で280文字くらいでしたが、今は久米さんとかは
   一分間に450文字くらい」(会場どよめく)
萬斎「速くなるのは何故なんでしょう?
    狂言は全体にゆったりしていて、言葉の速度がゆったり
    しているし、抑揚がつけられるので、耳にしたときの
    想像力客がかきたてることができる気がするのですが」
国本「外国語的ですよね。日本語は引っ張っても間合いを
   保てると思うのですが、外国語はどうしちゃったの?と
    いうくらい平板で間持ちが悪いですね」
鴨下「言葉のアクセントが平板の方が速くしゃべれるからですよ。
   例えば<人事>と<制度>それぞれに抑揚(アクセント)が
   ありますが、<人事制度>と繋げると抑揚がなくなって
   フラットになり速く読めます。
   今流行りの「ら」抜き言葉もそうです。「見られる」というべき
   ところが「見れる」になるのも、その方が速く読めるから
   だと思いますよ」
萬斎「スピードがすべてということですか?」
鴨下「だから言い間違いが出てくる。アナウンサーが
    しゃべっているのに、画面の下に文字が出てくる。
    視覚が聴覚を監視している状態ですね」
萬斎「これは後から出てくると思いますが、言葉の色が
    感じられないというか、無味乾燥ですね。
    音を使う立場から言うと、ゆっくり始まったほうが客に
    スイッチが入ってが従いてくると思います。
    例えば『棒縛』の冒頭は主人の名乗りから始まるのですが、
    だいたいこんな感じでやっている、というのを、
    声の高低を手で示しながらちょっと実演してみますね」
【萬斎さん、右手で言葉の出所、緩急、間を示しながら名乗り部分を実演】
     『棒縛』は子供の頃に習いましたが、親にプログラミング
     されていて、ほとんど間が開かないように覚えさせられて
     いて、全然劇的なものでもないんです」
鴨下「日本人は少しずつニュアンスがつく芝居が好きなんです。
    親父や坊主の説教も同じ。上役もそう。おっと、お二人
    とも上司というのを持ったことがないんですね
    (会場爆笑)
    説教っていうのは難しいですよ。いろんな調子で
    話すのが大切で、ニュアンスに富まないと上司は
    勤まらないですね。相手の顔色を見ながら話すのが
    大切ですからね。私も上司になったとき、
    芝居をやっておいて良かったと思いました(笑)」
萬斎「音の緩急とか大小とかで脅かすわけですね(笑)
    狂言でも能の例会などでやる時は、能が一番終わると
    見所が一息入れてしまうので、(狂言で最初に登場する)
    主が緩急をつけて話して『何をやっているのかな』と
    興味を舞台に引かせる訳です」
国本「バリエーションでいうと浪曲もすごいですよ(笑) 」
【国本さん、ものすごい緩急、強弱を駆使して『忠臣蔵』の
 松の廊下の部分を熱演】
    「そんなに(派手に)やらなくてもと思われますけど、
    こうすることで、悔しさなどの感情が判るわけです」
萬斎「何役もやるときは音の使い分けとかは?」
国本「【さっそく実演】二人登場人物がいたら、どちらか一方に
    力点を置かないと客には判らないです」
萬斎「現代劇だとどちらも強いでしょう?」
鴨下「協調性がないよね(笑)」
萬斎「芝居には引き算が必要だと思いますね。出すと引く、
   呼吸とか間、セリフの句読点が<間>ですよね」
鴨下「<間>は究極の句読点ですね。今のセリフって
   いうのは聞いていると<やりとり>が凄く少ない。
   役者はとにかくセリフを覚えるのが一番大変らしくって。
   で、一人で覚えるらしいのだけど、記憶っていうのには
   取っ掛かりが必要で、それによって呼び起こされる。
   台本に赤字とか入れると思い出しやすいみたいです。
   でも一番なのは気持ちを入れて覚えればセリフの半分は
   出てくる。ところがとにかくセリフを覚えようとだけするので、
   狭い感情、狭い解釈で覚えてしまうために、本番で
   感情を入れて話そうとしても、もう直せないんですよ。
   だからセリフは早く覚えないほうが良いんです」
萬斎「その言葉嬉しいなあ(笑)」
鴨下「僕の芝居のときはダメですよ(笑)
    でもこの話は例のスタニスラフスキーも言っているんです。
    彼が演技論を確立した時に一番参考にしたのは
    イタリアの「記憶術」という本だそうで、
    セリフと感情については、結論から言えば、
    その方法を体得すれば、気持ちが入らなくても
    セリフは覚えられると」
萬斎「私の場合は現代劇の場合は句読点を打ち直した後、
    感情無しで覚えておいて後から感情を入れますね」
国本「型を体得しているとそれで覚えることはできますね」
鴨下「(上達すれば)感情なしでも確かにセリフは
    覚えられるようになります」
萬斎「自分はご飯のことを考えながら、セリフでは客を
    泣かせられると(笑)」
国本「自分が泣いてはだめなんですよ。堪えていると泣かせられる(笑)」
萬斎「涙を流す、っていうのを映像の仕事に出ると求められるのですが、
    泣くのは恐怖で(笑)家で一応泣く練習とかしますよ(笑)」
鴨下「どうやって?」
萬斎「悲しいこととか思い出そうとするのですけどね、
    でも本場になると別の事とかに気を取られて集中できない(笑)」
鴨下「凄い女優さんになると、どっちの目から涙を出しますか?
    とまで聞かれますよ」
(一同びっくり)
   「目を開きっぱなしにして、一方をつぶると涙が流れるらしいです」

萬斎「本業(狂言)の舞台で客を引き込ませるには、
    イマジネーションを喚起させて参加させるのが一番
    なんです。なので普及公演の時は、セリフのさわりを実際に
    お客さんにやらせたりします。浪曲ではどうですか?」
国本「やりますよ~~(笑)客との一体感はやはり掛け声ですね」
【以下、実演をまじえつつ。ただし、国本さんの言う通りには全然なってない客】
   「まずですね、普通は浪曲師の前に机がありまして、
    富士山の絵などを描いた布がかかっています。
    左右に屏風がありましてその陰に三味線を弾く人がいます。
    登場からやりますね(笑)【とイスから立って下がる】
    まずここで『待ってました~~!』(笑)一緒に拍手(笑)
    つぎにちょっと三味線を弾きつつ一声唸ったら『たっぷり!』
    『ちょっぴり!』はダメです(笑)【客にやらせるけどバラバラ】
    で、一節終わったら『名調子!』か『日本一!』
    間違っても唸ってる最中に掛け声かけたらダメです。
    あとは『いい男!』これは見たままですね(爆笑)
    それから『名調子!』って言った後笑わない(笑)」
萬斎「お客さんの掛け声に恥じらいがありますねえ(笑)」
国本「一度声を出すとやらないと物足らなくなりますよ。
    出してないや~って。昔は下手だと客からミカンが
    飛んできたらしいです。あとは客席から舞台に上がって
    きて幕を閉めちゃう人も(笑)」
鴨下「ミカンは痛いね(笑)」
国本「飛んできたミカンを食べた浪曲師もいたらしいです」
萬斎「(客さんにも)で掛け声を言ってやろうかという緊迫感が
    ありますよね、歌舞伎の掛け手(大向う)とか」
鴨下「お客さんが覚えて、狂言の舞台でやられたらどうします?」
萬斎「ないですねえ(笑)」
鴨下「『このあたりの者でござる』で『日本一!』とか」(会場爆笑)
萬斎「舞台に出てきた途端に『まんさいさぁ~~~ん』って
   呼ばれたことはありますね(爆笑)
   でもお客さんが参加するには<間>の共有が必要ですね。
   狂言で『なんとしようぞ』と考える演技をしている間は
   『ん~~』とかは演者は言わないんです。間を客を共有することで
   場が和すというか、観客が参加する余地が生まれる。
   鴨下さんの本には、良く似た言葉の言い換え、
   ということが出てきますね。
   <月>か<MOON>か<MONTH>か、というのとか」
鴨下「『つきづきにつきみるつきは多けれど、つきみるつきは
    このつきのつき』という歌がありますが、文脈だけでなく、
   音色が変わることで聞き取れるわけですね」
萬斎「<月>の持つニュアンスで、言葉の周りの間や、音の出方が変わる」 
鴨下「音にもっと敏感になると、例えば<バラ>と<サクラ>を
    比べると、<バラ>は子音がB、<サクラ>は子音がSとK。
    この二つは全然違っていて。Bの音は華やかさを感じさせるし、
   SやKの音は清らかさを感じさせませる。
   あるいは<赤いバラ>と<白いバラ>では<バラ>の持つ
   ニュアンスが違う。これをどう変えられるか、変えられるのが
   上手い役者だと思います。
   <白い>や<赤い>をそこで強調するのは品が悪い」
萬斎「耳が痛いです。我々の日本語は説明的すぎる、と良く
    父の万作に言われますが、そのあたりは客への信頼度ですね」
鴨下「例えば『山』と『丘』だと<おか>の方が低いイメージが
    ありますし、『月』と『太陽』も聞いて明らかに感じが
    違いますね。それは<TSUKI>が<u><i>という閉母音で、
    <TAIYO>が<a><o>という開母音ということと
    関係があるはずです。そのあたりまで神経が必要ですね」
萬斎「『黄金造りの太刀をスルリと抜いて』とか『カラリと捨てて』
    とかと言うときは、『スルリ」「カラリ」に具体的にニュアンスを
    付けます」
鴨下「情報より意識、ということですね。言葉だけで喚起できる
    役者が減りましたね。それにしても萬斎さんがすごいのは、
    『抜いた』『捨てた』にちゃんとニュアンスが乗ることです。
    普通の役者がやると、平板に言ってしまうので『抜いた』
    『捨てた』にならないんですよ(笑)」
萬斎「映像文化のあおりでしょうか」
国本「広沢虎造が最初にTVに出た時に、ずっと同じしかめっ面が
    オンエアされるのは耐え難いことに気が付いたらしいです。
    つまりラジオで音だけだった時は、音だけでイメージ
    できたのが、演者の年齢とか服装が目に入ってしまってダメだと」
鴨下「狂言中継はどうですか?」
萬斎「見ているとテニスの試合みたいに感じます。
    狂言は一人がこちら、一人がこちらと(離れて)
    立っているので、二人一緒に映そうとすると
    (画面を引くので)絵が遠くなってしまう。
    そこで近くに寄ると、一人ずつ話す方だけが交互に
    映されて(テニスの)ラリーみたいになってしまって、
    二人の関係性が映らない」

鴨下「古典芸能の知識がない若い人は、森の石松とか
    知らないでしょう?私は生まれが下町なので、
    風呂屋に行くとたいてい誰かがやっていたし、やらされました」
国本「出前持ちの人も知っていた、という夢のような時代です」
萬斎「しゃべるか謡うかの二元化されていますが、
   その中間になるものがありますね」
鴨下「日本のミュージカルを見ていても、歌とセリフの中間が下手」
萬斎「狂言のセリフ術にはセリフから語り、謡への移行というのが
    ありますので、それを実演してみます」
 【萬斎さん、柑子の最後の部分を実演】
   「浪曲のうねりと節のつなぎはどうなっているのですか?」
国本「場面転換によく出てきますね」
 【国本さん、<番場の忠太郎>の一部分を実演】
   「セリフから節、歌と三味線が分かれていないんです」

鴨下「実社会でも会話は大切ですよね。相手の言う事を
   聞く技術と自分のことを言う技術のどちらもありますが、
   自分のことを言う時は節をつけないとだめみたいですよ。
   会社でのプレゼンテーションとか相手を納得させるのには、
   普通の会話とは少し違う節が必要。
   弁論術っていうのは節のことなんですね」
萬斎「音の羅列は(聞いていて)飽きますね。
    狂言ではしゃべりの最後の音をそのままで謡に
    突入します」
鴨下「さっきのを聞いていて思いましたが、謡に移行する少し前に
    予告みたい少し謡が入りますね」
萬斎「確かに予告編やります(笑)」
鴨下「正しい日本語っていうのは、ヘンな音を使うんですよ。
   外国語の音階っていうのは、階段状になっていますが、
   真っ当な日本語は音が坂道のようになっています。
   日本語には無数に音の配列があるんですよ。
   (国本さんの三味線を指して)三味線もフレットとか
   なくてかなりいい加減な楽器でしょう?(笑)これが音声に近い」
萬斎「三味線の音の調整はどうするのですか?」
国本「音(声)と三味線は阿吽の呼吸ですね(笑)
    実は私は一人で三味線もやりますが、普通の
   場合、三味線を弾く人は(屏風に隠れて)客席が見えない」
鴨下「見えないほうが音に集中できますよね」
国本「集中しているのを(客に)見せると、(浪曲師自体より)
   そのほうが面白いからかも(笑)」
萬斎「浪曲師と三味線というのはやはり夫婦とか、兄弟や親子が
    多いというのは、他人には判らないことがあるのでしょうね。
    まずコンビネーションありきで」
鴨下「狂言も親子でやることが多いのは有利ではないですか?」
萬斎「確かに有利ですね。ですから(単独の狂言より、
    一人で出る事の多い)間狂言の方が緊張します。
    何しろそれまで地謡8人と囃子方4人とかでやっていた部分を
    たった1人でやるわけですから。
    (2人以上で出て)相セリフなら楽ですが、語り間は大変です」
鴨下「間狂言が大変だなあと思うのは、それまでやってきた筋を
    繰り返すわけですよね、間違えたりしないですか?
    能って、客が(謡)本見ながら見ているでしょう?」
萬斎「間狂言のところは(謡本には)書いてないので、
    有利なんですよ(笑)能は、確かに見所の
    お客さんが本を見ながら見ている、稀有な舞台ですね」
鴨下「みんなその演目のネタを知っていて見ている」
萬斎「そうですね、前に何人もやっていらっしゃるから、
   下手だと『お前を見に来たんじゃない』と言われますからね。
   比較される前提がある」
鴨下「ああいう古典芸能を見ていて不思議なのは、
   同じ物を何度も聞いて、見て、なんで笑ったり
   泣いたりできるのか (笑)」
萬斎「それは深い質問ですね」
国本「歌というのは、何度聞いても感動できるのではないでしょうか?
    歌うように語り、語るように謡う、そういう音調とか」
鴨下「音の調子をどのくらい出すか?というのが難しいですね。
    単調になりがちですから」
萬斎「音調を出したほうが、聞いているお客さんへの浸透率が
   良い気がします。蓄積されるというか。」
国本「三味線と語りというのはコミュニケーションだと思うのです。
    元々は分業ですから。ですから親子とか一族で分担する
    するのは有利ですね」

萬斎「さて。今日の目玉の一つとして、宮沢賢治の
    『雨ニモマケズ』、この曲はテレビの
    『日本語であそぼ』にも採り上げられていますが、
    この曲を狂言と浪曲とで語り比べてみようと思います」
鴨下「萬斎さんは、さっきからお聞きしていると必ず
    『この曲』っておっしゃいますね、確かに能や狂言は
    一曲と数えますが、萬斎さんの中には<曲>の
    イメージが強いのでしょうか?
    それから、この『雨ニモマケズ』の特徴は、
    30行くらいあるのですが、それがワンセンテンスなんですね。
    それをどう語るかですね」
萬斎「ではまず、私が感情を余り込めずに現代的に読んでみますね」  
    【と実演】
鴨下「(終わってから)途中からどうしても謡のようになりましたね(笑)」
国本「(狂言風になる)予告が入りましたね(笑)」
萬斎「ではまず(国本さんより)私のほうが地味だと思うので。私から」  
  【と狂言風を実演】  ★ちょっと「陰陽師」みたい…・・
  【続いて国本さんが浪曲風を実演】
鴨下「素敵だな~やっぱり。お二人に共通なのは字の
   意味以上に<音>を読んでいることですね。
   この文章は対句とか韻を踏む部分が多いのですが、
   それを意識している。で、お二人が同じところを同じように
   読んだところがあって、それは『慾ハナク 決シテ瞋(いか)ラズ』
   のところを遅くしてたのと、『野原ノ松ノ林ノ蔭ノ』のところは
   <の>の字が5回繰り返し出てくるのを、二人とも速く、
   細工もしないで読んだところ。『慾ハナク』のところを速く読んだら
   ダメですし、<の>の音は同じ速度で読むのが良いのです。
   また、対句の部分、例えば『ヒデリノトキハナミダヲナガシ
   サムサノナツハオロオロアルキ』は速度を落とすのが
   良い読み方です」

萬斎「今回は「間」の豊かさ、我々(伝統芸能をやる者)が持っている、
   意味(から)ではない<(読み方の)作り方>を感じました」
鴨下「音の芸術ですよね。奥が深い。聞いていて狂言の浪曲とは
    関係が無いようで、意外に関係がある気がしました」
萬斎「音量とか意味だけだと、上塗りと言うか、足し算になって
    しまいがちですが、それを捨てて敢えてサラサラとやる、
    大きいところだけを掴む」
国本「所謂<ダレ場>をいかにして作るかということですね」
萬斎「我々がダレ場と言ってはいけないのかも知れませんが、
    ある部分で我慢を強要するところはありますね。
    そのあたりがテレビと違うところ」
鴨下「テレビで演出をしていると、ここはこれでは間が持たないと
   心配するところほど、受けたりするところがありますね。
   ですから待ってみる、というのも意外に良い結果が出る事が
   あります。良く演出家は大きな病気をした後は上手くなるって
   言うんですよ(笑)。
   体が無理がきかないから自然と待つようになるみたいで」
萬斎「それでは何回も大病しなければなりませんね(笑)」
鴨下「役者は身体が資本だからダメですよ(笑)
    演出家は蜷川さんもそうですけど、大きな病気から治る
    とよくなる(笑)」
萬斎「治らないと困りますね(笑)」

質問コーナー。4人ほどが質問

ゲスト2名拍手に送られて右手に退場

萬斎「12月にここ世田谷パブリックシアターで
   『子午線の祀り』という群像朗読劇をします。
   さて、「解体新書」次回は来年やりますが、ゲストに
   白石加代子さんともう一名をお迎えして、言葉と身体、
   精神についてやりたいと思っています。
   憑依する身体とか舞台に立つ事によるオーラについても
   触れる予定です」

萬斎さん退場。

終了。

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コメント

かのこ様。たっぷりと堪能させて頂きました。毎回ありがとうございます。所々思わず笑いながら、「お~」っと感動しながら、読み進めていきました。最近言葉使いの悪くなる一方の娘にも聞かせたかったなぁと感じる場面もありました。
それにしても、「陰陽師」風の『雨ニモマケズ』聞いてみたかったですね。

投稿: 葉月 | 2004.08.27 20:35

脱帽です。今回はかのこさまのまねをして、4日間かけて抄録もどきを書いて見たのですが見比べると本当に恥ずかしくなってしまいました。記憶力や基礎知識の差に加え、なにより伝えようとする誠意の差を感じました。ひとつひとつの言葉を大切にしたうえで、深い理解にたってご自分のなかでほんの少し引き算足し算してから文章にされている。だから当日の演者の方々が伝えたかったことが、会話が文章に無理なく変身して真っ直ぐに響いてくる。わからなかったこと、聞き逃したことたくさんありましたが、読んで納得でした。しかも読みやすい。本当に感謝です。

投稿: 真葛 | 2004.08.27 20:49

かのこさん、ありがとう!とても楽しく読めました。とても濃い内容でした。

私は今外国語の世界にいて、会話、特に電話がままならないことが多いですが、言葉のキャッチボールが大事と言うところは深くうなづかされました。緊張して事前に紙に書いたりしたこともありますが、相手の言うことに耳をすまして、拙くてもこちらの言いたいことを投げかければ、何とかなるということを学びつつあるところです。

投稿: susie | 2004.08.28 01:36

かのこさん、こんにちは^-^きすけさんのHPから来ました!

いやはや、とても慎重に言葉や表現を選ばれて書かれていますね。とてもわかりやすく、それでいて客観的視点で書かれているので、抄録としてとても素晴らしいものに仕上がっていると思います。流石ですね!

私のレポはどちらかというと感情的になって書いているので・・・。(汗)

次回の抄録も楽しみにしています(^-^*)それでは!

投稿: 黒薔薇 | 2004.08.28 04:35

こんにちは。
私もきすけさんのHPから参りました。

何度かきすけさんのbbsにも書かせていただいたとおり、解体新書のチケットがハズレ( ̄▽ ̄:) 、当日券にも並べませんでした。
なのでこちらで、詳細なかのこさんのレポを読ませていただき嬉しかったですヾ(*^。^*)ノ

私も一度、初狂言会のレポなるもの(レポというにも怪しいもの)を自分のサイトでアップしたりしましたけれど、どうしても詳細な部分まで記憶が思い起こせず苦労しましたっけ。
本当、かのこさんのレポには敬服!!( ̄∀ ̄)

私も今後、メモとペンを持参して熱心に聴いてみようと思いました。

今後また色々なレポを期待しております。
また遊びに伺いますね(⌒◇⌒)ノ
ありがとうございました。

投稿: あめみこ | 2004.08.28 10:18

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