新作舞台の評でそれはあり?
歌舞伎やシェイクスピア、あるいは再演を繰り返しているミュー
ジカルの類については私は新演出はともかく、粗筋や結末を明ら
かにすることにさほどの抵抗も反対もしませんが、上演中の新作の
芝居で、おそらくは肝になるであろう、結末や「実は」的種明かし
部分を、ネットならまだしも新聞評があっさり書いてしまうなのは
どうなのでしょう?
その芝居は井上ひさしさん作で、2回の初日延期で話題?になった
「わたしは誰でしょう」(22日まで)、そしておそらくは芝居の間、
観客がその種明かしのプロセスを楽しみながら見るだろう、自分が
誰かと言う記憶をなくしていた男(川平慈英)の正体が、7日の
讀賣新聞夕刊(東京本社版)にあっさり書かれていたのです。
実際の初日から半月以上経っているとは言え、まだ見ていない
人間もいる訳で、確かに予備知識的に事前に劇評を読むのだから
そこにネタばらしが入っていても仕方ないと言うのも一理かも
知れませんが、この種明かしを書かない事には劇評として成り立た
ない文章とは私には思われず、楽しみを一つ奪われたようで
正直がっかりしました。
| 固定リンク
「舞台一般」カテゴリの記事
- NHK教育「ハートネットTV」に松岡和子さん(2021.07.22)
- 東宝が「レミゼ」チケット転売対策に出た(2019.04.04)
- 「ジーザス・クライスト=スーパースターinコンサート」チラシで(今更)判った事(2019.03.21)
- 「メタルマクベス〜disc2」を観る(2018.10.07)
- 二つの三人芝居(1)「出口なし」を観る(2018.09.20)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント