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2009.04.09

「能楽現在形〜『望月』連続公演第一夜」を観る

宝生能楽堂。
久しぶりの能。
異動新部署の仕事に慣れず、久しぶりに残業しまくりの寝不足の日々で、これは
演者に申し訳ないけれど、きっと落ちまくるなと思いつつ能楽堂に向かい
ましたが、余りの面白さに(出のあたりちょっと記憶を失いましたが)寝ている
暇?もなく舞台に釘付けでした。

身をやつして仇を討つと言えば歌舞伎や文楽の一大定番ですが、こんなスリリ
ングなストーリーが能にあると今回初めて知りました。
(実は前に一度見てると記録にありますがまるで記憶なし…)
前回劇場版の「舎利」もそうでしたが、このユニットのおかげで能の演劇性が
非常に明確に理解できるのは本当に有難い限りです。

今回は観世流。

解説には観世流は仇討ちの時に、シテや子方はワキ(仇)に見立てた笠を相手に
仇討ちを成就させ、体には触れないとありましたが、今回は他流はそう、と書か
れていたのと同じように、シテ&子方はワキを掴み、会話もあり、「仇を討ち
に〜」の直前にワキは笠を残して切戸口から入る形でした。しかし端から見たら、
仇、目前で逃亡にしか見えません。生々しさを忌むお約束とは言え、何か不思議。
不思議と言えば、仇討ちの重要なメンバーで、変装してまで仇に近づく母親が、
途中でさっさと退場してしまうのもそう。
肝心の敵討の場面に警護してない仇の従者(アイ)だってそうですが、どうも
亡霊を祈伏する話にしても、能はその結末よりもプロセス、感情のうねりを
見せたいと言うベースがあるのかもと勝手に思いました。
演者は皆さん迫力あり。
片山さんの目線と眼力、獅子舞の切れ味。
古式の小書とかで長い素襖の袴のままで舞う、翻す衣擦れの音の緊迫感。
白頭の清々しさと頭頂のキュートな赤い牡丹一輪の対比も印象的でした。
殿山さんの仇らしくも最後は潔く討たれる人間味が感じられ、子方・小早川
くんには安心感あり。
狩野さんの姿の良さと萬斎さんの気迫と声。
(髪の毛、珍しく完全真ん中分けだったのは意味ありかしら)
それら全てが見事に拮抗していました。
更には囃子方。
良く囃子方と演者の関係について、広忠さんが以前ポストトークで、気や
パワーを送ると言うような事をおっしゃってましたが、今回それを強く感じ
ました。
実際の仇討ちの繰り広げられている場があるとして、そこに囃子方は存在しない
のですが、あの能舞台の上では、囃子方が仇討ちの機会を狙う3人に、楽器を
鳴らして鼓舞し、勢いをつけ、何より文字通り「囃して」仇討ちにパワーを
与えてサポートしているように感じました。
それにしても能のタイトルで「望月」などと言われると、普通に月に風流を
感じた誰か高貴な人の亡霊が出てきて…なんてストーリーを想像しますが、
単に仇の苗字と言うのがちょっと意外でした。
喩えれば「忠臣蔵」なら「吉良」、だし、「鍵屋の辻」なら「河合」、「曽我
兄弟」なら「工藤」。
皆なんか素っ気なく、「望月」だからこそ能のタイトルにふさわしい風情が
あるように感じました。

ともあれ、強烈なパワーと迫力に満ちた舞台でした。

その前に四郎さんと広忠さんの一調「願書」。
座って謡っていらっしゃる四郎さんの手が山場に近づくにつれ凄く震え、もう
立ち上がり舞われるのではと思った程でした。
萬斎さんは「住吉」。
前に万作さんがされた時も思いましたが、これ、地謡が大変そう。
続いて幸弘さんと元伯さんの「豊後下り端」
何か素人には判りませんが凄いワールドが巻きおこっていた様な気がしました。

今回の連続公演ではあと金井さん、友枝さんのを拝見予定。
違いを含めてまた楽しみです。

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