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2011.12.09

「狂言劇場その七」(Bプログラム)を観る

2日しかないBプログラムの初日に伺いました。
当初2時間と発表されていた上演時間は、2時間20分と変更に。
狂言が急に長くなる筈はないので後半の「悟浄」が長いと推測
(事実、「悟浄」だけで90分超かかりました)

近くに野田学先生が。
河合先生はもはや「レギュラー観客」ですが、野田先生も「狂言座」はじめあち
こちでお目にかかる準レギュラー格。
センターブロック後方センター席でしたが、舞台と目線が程よく合う良席でした。

今回「狂言劇場」は古典を現代劇場に持ち込む実験的にスタイルから、それに
加えて狂言の手法を別の何かとコラボレーションさせる、外側へのアクション
的な視点での新作が番組に組み込まれ、また「舞」「語」とプログラムにサブ
テーマが付いたのが非常に
判りやすく構成の点で素晴らしいと思いました。

「語」と題されたBプログラムはまず「柑子」
この曲、万作さんがお好きとお聞きしてますが、今回は萬斎さん太郎冠者、
石田さん主。
プログラムの解説が非常に丁寧で、語句の隠れた意味などに改めて感心しな
がら拝見しました。

続いて万作さんの「与市」。
素晴らしい語りでしたが、やはり最近良くあるのですが、途中で息が上がったり
声が絡んだりするのが目立ってそちらが心配に
(息子のハイペースな仕事に屡々お付き合いなさってますしね…)

ここまでで35分。
15分休憩を挟んでいよいよ中島敦作品「悟浄出世」の朗読劇

舞台には正面に薄くカーブを帯びた紗っぽい金色を帯びた茶色の布が天井から
床まで吊るされ、古い大木風で、照明の当て方で透けたりし、また演者はこの
裏で出入りもしました。
四角い本舞台の奥の二ヶ所の角にこれも廃虚風の焼けたように見える柱の残骸?
雰囲気は「国盗人」似。
そして舞台中央に布がかかった斜めのオブジェがあるなと思って見ていたら開幕と
共にするすると布が床に引かれて(舞台中央に穴が開いていた)消え、代わりに
チラシと同じく、眼鏡をかけた河童姿の萬斎さんが
登場。
斜めのオブジェは「敦」時に使われていた三日月形のオブジェの小型風(ただし
回らない)でしたが、正直余り効果的に使われてはいなかったです。

で、萬斎さん悟浄はその穴から半身だけ出したり、出たりしながら語っていらっ
しゃいましたが、悟ると出てくる、迷いが深まると沈むとかのルールなのかと
思っていたらそうでもなく、意図が私にはイマイチ不明でした。

と言うより残念ながら今回「悟浄」は私には全体に「残念」だらけでした。

話は「私とは誰?」と「間違いの狂言」の太郎冠者よろしく悩める悟浄が妖怪世界を
悟りを求めて修業の旅に出る物語(で合ってます?)
中島敦の作品は漢語が非常に難解で、耳で聞いてもなかなか漢字に変換できないの
ですが、今回の「悟浄」は前回の「山月記」など以上に仏教用語、人(妖怪)
名に耳慣れない物が多くて、理解しづらかったのが(プログラムに語句解説なし)
まずなかなか厄介で、話に入り込みづらかったのが難関でした。
更に、虎になる、とか歳を取るとかストーリー的な視覚的な変化も動きも余り
なくて、最後に三蔵法師に従って旅に出るのが悟浄の「出世」なのかあるいは
違うのか、最後の最後まで「?」「?」の連発で、途中遂には一瞬睡魔に襲われて
しまったりしたまま終わりました。

「ボレロ」でも感じましたが、やはり今回やや準備に時間をかけきれなかったの
ではないでしょうか。
トラムでされているようなリーディング形式の試演ならばともかく、本公演に
かけるにしてはやや中途半端かな〜な印象が先立ちました。
また演出なさるなら出演はなし、出演なさるなら演出は他の方にお任せするとか、
お忙しい芸術監督ドノ、そのあたりやや見極めが甘かったようにも
(偉そうでスミマセンが)。
「悟浄」自体が今までの「敦」2作のような結末にカタルシスがない物語だった
のも、90分朗読で持たせるにはやや辛かったかも知れません。

しかし尺八の道山さん、いつもの田中家の作調は素晴らしく、時にコミカルに
舞台にアクセントを加えて下さっていましたし、ラスト道山さんが演奏されて
いたメロディは「ボレロ」だったような…

「ボレロ」も「悟浄」も今後のブラッシュアップを期待です。

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コメント

私は昨日Bプロを観てきました。正直言って、「悟浄出世」にはがっかりというか、意味が分からないまま終わってしまい、しかも途中眠くて仕方なく(実際寝ちゃった時もありましたけど)最後まで「?」の状態で終わってしまいました。無理にあのような演出にしなくても、リーディング形式で読む(語)方が良かったんじゃないかと思いました。
私が拝見した時は、途中で萬斎さんが穴に入る際に本を落としてしまい、表紙と中身が離れた状態になってしまったんですけど、多分穴の下にいるであろうスタッフさんからもらったのか、表紙なしの本で顔色何一つ変えずに、萬斎さんが朗読を続けてた場面がありました。
しかし、音楽が良かっただけにやっぱり「残念感」が強い作品になってしまいました…。

投稿: 華菜 | 2011.12.09 23:11

華菜さま
確かに!しかし台本落とされるとは。
これをおもしろく見せることができたら、本当に萬斎さんの「中島敦プロジェクト」大成功、という気がします(*^^)v

投稿: かのこ | 2011.12.10 07:05

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