国立文楽劇場「新春文楽公演」
1月は「新版歌祭文」、11月に七段目まで通した「忠臣蔵」の
続きの「八段目」「九段目」、そして「that's文楽」
演目の「本朝廿四孝」
「新版歌祭文」は、「彦山権現~」の「毛谷村」
同様、「野崎村」しか出ないのが普通ですが、今回、
その前段、どうして真面目そうな久松が「業務上横領」の
疑いをかけられて「自宅謹慎」になったのか、なんで
「野崎村」に久松を連れてくる小助があんなに嫌みな
キャラなのかがよく判る「座摩社の段」が上演された
のがとても良かったです。
「野崎村」だけでもお光が可愛くていじらしくて、
お染ッたら~ですが、「座摩社の段」を見たら、
お染ちゃん予想の斜め上行くイケイケぶり(笑)
久松に強烈な先手を打っていて、あれは忠臣蔵二段目の
お軽といい勝負。
(ほとんどパワハラ(笑)
養父の久作が諭してなくても、お光の泣く泣くな決断が
なくても、久松くん、好きでもあろうけれど、立場的に
お染を選ぶしかない。
(お光ちゃん、ますます憐れ)
横領の上に、社長令嬢と駆け落ち無理心中って、
久松くん!
しかし、同じ娘人形なのに、お染が苦労知らずの
ツンケン我が儘コムスメに、お光が特に覚悟した後半、
老成して菩薩のように見える不思議ですね。
忠臣蔵「八段目」「九段目」
八段目は「道行」
戸無瀬と小浪、義母子による「なんでウチの娘と
結婚してくれないんですか!」と言う、切羽詰まった
決死の談判ツアー。
「結婚してくれないならここで死にます!」とか、
冷静に考えたら殆ど脅迫
なのに道中は(演出上とは言え)のんびり華やかなのが
却ってホラー(笑)
そう言えばあの頃は富士山から煙と語りがある理由、
噴火の影響、とか、さすがイヤホンガイド。
「九段目」
忠臣蔵と言えば五段目から七段目が一番上演頻度が
高いのですが、個人的には随分前に勘三郎さんがお石を
なさった歌舞伎版「九段目」の印象が今でもとても
強いため、とにかくこの「九段目」が一番好き。
(因みにその時の戸無瀬は玉三郎さん、小浪が現・
勘九郎、本蔵が仁左衛門さん!)
勘三郎さん、と言うと、派手な立ち回りとアイデア
満載の、だれでも親しめるような楽しい歌舞伎を工夫
された役者さん&希代の名プロデューサーと言う
イメージで語られがちですが、個人的には、それより、
古典の女形さん役や四段目の判官が好きでした。
還暦前に鬼籍に入られただけに、これから似合う
役柄もたくさんあった筈で、本当に惜しまれます。
さて本題。
今回の「九段目」、所謂「山科閑居」
人形は大星を玉男さん、戸無瀬を和生さん、加古川
本蔵を勘十郎さん、と人間国宝揃い踏みだし、語り
には千歳大夫さんと無敵の顔ぶれ。
話が良くできているのは当たり前ですが、花形役者の
役中心になりがちな歌舞伎と違って、文楽はあくまで
ストーリー重視なので、よりモノガタリに集中できるし、
特にこう言う室内劇は、小さいセリフ、ちょっとした
仕草など含めて、濃密な人間の業やら、思惑やらが
舞台に詰め込まれていて、終わった瞬間、「すごい
ものを見た」と感じました
プログラムの和生さんのインタビューに、ご自身が
師匠の戸無瀬相手に、役では格上のお石を演じた時は
大変だった、と思い出話を語られてますが、今回の
配役で言うと、お石を遣った一輔さん、おそらく
かなり大変だったのでは。
そう言えば、勘十郎さんの左遣いさんがとてもよい
体格で、私の席からは、戸無瀬が後ろに引いた後は
かなり見えなくて、残念でした
しかし、本当に充実したお舞台で、見に来て良かったです
「本朝廿四孝」
少し前に、勘十郎さんが八重垣姫を遣われた時、
ラストで人形が飛ぶのは勿論ながら、何と、遣う勘十郎
さんごと宙乗りされたのを見たことがあって、文楽も
凄いな、と思ったら、後から「あれは勘十郎さん
スペシャル」、と聞かされて納得したものです(笑)
今回、八重垣姫を遣われた簑二郎さんは当然「飛び
ません」でした(笑)
歌舞伎でよくかかるのは「十種香」ばかりですが、
今回は、前段の「道行似合の女夫丸」「景勝上使の段」
「鉄砲渡しの段」がつき、勿論、「奥庭狐火の段」。
まあ見てみれば、確かに特に「上使」「鉄砲渡し」、
正直まあ無くても判るかな~、とは思いましたが、
「十種香~奥庭」だけ観ると、八重ちゃん健気に
頑張る、にしかならない話が、ちょっと全体像が
見えてくると、「彦山~」「~歌祭文」が、見とりと
通しでイメージが違ってくるのと同様、違う世界が
見えてきました。
この話、つまりは道三&謙信&信玄、全員一筋縄では
いかないクセツヨおじさん達の、深謀遠慮と陰謀術数が
入り乱れての盛大な皺寄せが、憐れな八重ちゃん、
そして「十種香」では見逃しがちだけれど、実は道三に
仕えてこちらも重大なミッションで長尾(上杉)家に
潜入している濡衣ちゃんに降りかかっている事が
よく判りました。
そして「狐火」はやはり重力無関係の文楽で観るのが、
ファンタジー感に溢れて一番でした。
家族のつき合いで見始めた文楽。
慣れない頃は、人形の横にいる遣い手が舞台にワラ
ワラいるのが気になったり、女性役と男性役が同じ
語り手の声、と言う違和感とか、舞台と見台と字幕
との目線移動のトライアングルで集中が切れたりして、
しばしば睡魔に襲われたものです
それが最近は、今回など良い例ですが、歌舞伎と
共通の演目だと歌舞伎との演出や違い、文楽人形
ならではの奇想天外さと、逆に能面と同じくに無表情
なのに仕草、頭の角度で目一杯宿る表情、太夫の語り
分けなど、私なりの楽しみ方も判ってきて、最近、
文楽に完全にはまりつつあります。