« 祝!阪神タイガース、最速リーグ優勝 | トップページ | 歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎~菅原伝授手習鑑」A&Bプロを観る »

2025.09.15

映画「遠い山なみの光」を見る

Yamanami

原作は未読のまま見ました。
全編見終わってから色々考察してますが、何しろ
最後の最後に「どんでん返し」シーンがいきなり差し
込まれてきたので、まだ確信は持てていません。
できればもう一度見て、原作も読んで考察を深め
たい気分です。

物語は、イギリスに渡って30年以上は経った悦子が、
娘のニキ(父親はイギリス人、渡日歴なし)に問われ、
自身の渡英前の長崎での日々について語る形で進みます。
途中までは、環境は違うが「経験」と「母(である/
になる)」と言う共通点を持つ、悦子と佐知子と言う
二人の女性の、シスターフット的な物語、かなと思って
いたのですが、途中から何だか変だな、と。

ニキが気にする悦子のもう一人の娘(ニキの姉)・
景子と、渡米する佐知子との同行を拒否した佐知子の
娘・万里子と言う「二人の」キーマンの「関係」が
何となく不可解
渡米せずに残った万里子を悦子が預かって養女にし、
景子と名前を変えて後に一緒に渡英した?、と思ったり
もましたが、稲佐山での木登りの子への怒り方とか、
縁日での小遣いの渡し方が、他人の子に対する態度
ではないような。
また、渡英後の景子がピアニストとしての才能があった
らしい事が語られているので、バイオリンをしていた
悦子の実の子かなとも

さらに、何故、夫・二郎の父、つまり義父であり、
結婚前の悦子(学校の音楽の先生だったらしい)の上司
だった緒方(三浦友和さん隠れた好演)の事を
「お義父さんと呼ぶのも変」
と、なぜか名字(自分も同じなので、そちらが余程変)の
「緒方さん」と呼ぶのにも、悦子の体型もあまり
変わっていかないのも違和感が増し増し

このあたりから、確信はないながら、この物語には
最近だと伊坂さんの「アヒルと鴨とコインロッカー」
古くはクリスティの「アクロイド殺し」で使われた
手法が、つまり少なくとも画面で見せられている
(悦子の回想)は、真実ではないらしいと言う手法が
使われている事だけは理解し始めました
(詳しくないのですが、カズオ・イシグロ作品には、
こうした手法が良くでてくるそう)

仮説の一つは、リアル悦子は劇中での佐知子で、
三角巾をあててうどん屋で働く悦子が一瞬映ったように、
悦子がバラックでのその日ぐらし、結婚も妊娠もして
おらず、団地での生活を妄想しながら、景子と渡「英」を
目指していたと言うもの

もう1つは(個人的にはこちら寄り)、映像のとおり、
悦子は戦中、学校で音楽の先生で、戦後は元上司・
緒方の紹介で、戦地から戻った息子の二郎と結婚。
二郎の自己中心的なところ(この時代なら普通かも
ですが)や、二郎に伏せている戦中のある秘密についての
負い目とかで、平穏な暮らしに見えても息苦しさを
感じていたとしたら、町中で出会って交流ができた
佐知子に悦子が憧れた、とも見えますし、もっと
言うと、稲佐山のシーンあたりから、悦子と佐知子の
服装の色目が凄く似てくる事や、「決定的場面」の
少し前の悦子の喋り声、喋り方が佐知子そっくり
だったので、そもそも佐知子も万里子も悦子の脳内で
作られた架空の存在で、佐知子についてニキに語った
事は、「妊娠していた子」=景子が産まれてから二郎に
隠していた事が顕になり、離婚されてシングルマザーに
なった悦子の経験した事なのかもと感じました

映画では最後まで、全ての答えを示した訳ではない
ので、はっきりした起承転結や答え合わせが映画の
中で解明される事を期待して見ると不満を感じた
かもしれませんが、個人的には、あれこれ思いめぐらす
映画は嫌いじゃないです(笑)

ただ、悦子と緒方が、ニキと悦子がそれぞれの時代で、
「変わっていかないと」「私たちは変われるはず」と
希望を語る部分以外、「万里子」を探すために走る
一本道で悦子の足に絡まる紐(最初は植物の蔓だと
思ってましたが、景子の自死の示唆か)とか、衝撃的な
牛乳の木箱(に入ったもの)を川に沈めるところ、
とか、全体の暗さは相当で、人やタイミングによっては
考察どうこう以前に拒否反応が出てしまうかも、
とも思いました

個人的には、人あたりの良い、縁日の射的のおじさん
役で松角さんが出ていらしたのがサプライズでした
(松角さんも、物語の舞台であり、カズオ・イシグロ氏の
ルーツである長崎ご出身)

悦子が自分の経験を直視できずに、歪曲して話して
いる、と言う見方もありますが、人間の記憶ほど
あてにならないものはありません
私も旅行や自分や家族の病気など、イベント?に
ついては結構はっきり覚えている方、と思っているの
ですが、同時にかなり綿密に記録をする癖があり、
たまにその記録を後から読み返すと、順番とか経緯とか、
細かいところが自分の思っていた記憶と微妙に食い
違っている事が少なからずあることがしばしばです
悦子に改竄の意図なくでも、悦子のモノガタリは
悦子のものとして完結している訳で、そう思う悦子を、
貴方の話は事実と異なる、と責める事など、おそらく
誰にもできない気がします

|

« 祝!阪神タイガース、最速リーグ優勝 | トップページ | 歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎~菅原伝授手習鑑」A&Bプロを観る »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。